薄幸の語らい。



23時。
ちょっと過ぎ。


18歳ぐらいの頃に付き合ってた彼女からものすごく久しぶりに電話がかかってきた。
ちょっと緊張しながらも、お互いよそ行きの声で「元気にしてる?」なんて聞いてみたりして。


彼女は僕と付き合ってた頃からとある雑誌でモデルをしていて、
僕は彼女と別れてからもその雑誌が目についたときなんかは、
時々ページを繰って彼女を探したりしてた。
元気であればいいなって程度の小さい思いで。


だから「元気にしてる?」って質問の答えはすでに知ってた。
「うん。元気。」って予想通りの返事を聞いてもやっぱり少し嬉しかった。




僕は現在デザインを生業としていて、その道に進むきっかけを作ったのも彼女だ。


付き合ってた当時彼女は大学生で、在学中に作りためた服でファッションショーをすることになった。
僕は彼女のファッションショーのためにフライヤーを作った。
それが生まれて初めてたくさんの人の目にとまることになった僕の作品第1号。
神戸市からの補助金も下りて、僕の作品第1号は駅構内に貼られたりした。
降って湧いたようなとびっきりの好待遇。
そんな体験が、今のこの仕事をすることになった引き金。


別れてからも僕と彼女は連絡をとった。
彼女を経由して仕事のオファーが来たときもあった。
僕はお礼に年賀状のデザインを手伝ったりして。
でもそんな関係も時間が経つにつれて少なくなっていって、
今日のこの電話までもう丸2年くらいお互い連絡はとらなかった。




お互いの近況報告を簡単に済ませ、自然と話は本題に移る。
付き合ってた時から変わらない一連の流れ。
僕はノスタルジックな気持ちになっていくのを悟られまいと、精一杯普通のトーンで話を聞く。


彼女が切り出した本題は、予想通り仕事の話だった。
「どんな仕事?」と聞いた僕に、
「逢ってから話したい。今から逢えない?」という彼女はどこかぎこちなかった。
いつもなら昔よく二人で行ったカフェで打ち合わせをする。
ましてや今はもう夜中で、日付も変わるぐらいの時間。
僕は二つ返事でOKして、高速をすっ飛ばして彼女の家に向かう。
道中、電話口で感じた違和感は、彼女に何かあったんじゃないかと思う心配に変わった。
駄目人間の僕でも相談ぐらいには乗れる。




彼女の家に着いて打ち合わせをするため、近くのファミレスに向かう。
注文を済ませて一息つき、「少し太ったね」なんて笑いながら少し話をした。
なかなか仕事の話はでない。
僕は思い切って聞いてみた。


「ところで仕事の話ってどんな仕事??」


一瞬沈黙して静かになったあと彼女はこう言った。




「一緒に浄水器売らへん!? あんな、めっちゃ儲かる話やねん!!!!」




嗚呼。




「いや、ネズミ講っていうんはな、商品がない取引のことを言うねん!!これはネットワークビジネスって言うねん!!」




神よ。




「ほんでな、このパンフレットに載っとうやつを売るねんけどな、あ!裏見て!パンフレットの裏。神戸支部ってないやろ!?わたしがんばって神戸支部作ろうと思うねん!! なぁ、一緒にせえへん!!?」




全員死んだらいい。




ネットワークビジネス
平たく言ったら、マルチ商法
大変な高確率で破綻するビジネスシステム。
目の前で冗舌に浄水器の良さをこの会社の素晴らしさを会社幹部の人柄の良さを説明する、元彼女。
駄目だ。もう駄目だ。


感じる。
何か大切なものがまたひとつ消えていくのを感じる。
あああ何なんだこの駄目な感じは。


一筋の希望を賭けて、
「これはアレか。ひょっとしたらドッキリか。カメラどこ?どこから撮ってる?」
と聞いてみたら「真面目に聞いて」とファイルみたいなもので殴られた。
どうやらその中にはマルチ会社の社員さんたちと遊びに行ったときの写真が入っているらしい。
どんな説得にも頑として聞かない彼女。
もう誰がなんと言おうと、これは駄目だ。駄目ったら駄目。




その後丁重にお断りすると同時に、もう二度とこの類いの話はしてくれるなと念を押して、
彼女を家まで送り届けました。


帰りのルートは高速道路はやめて、わざわざ海の見える国道二号線を通り、




『さよならなんて云えないよ/小沢健二』を絶叫と言い切っていいぐらいの声で歌いながら帰った。




夜の海は、本当に本当に黒くて、タールのような色をしていました。




ファッック。