潮騒。

今日はエネルギーに充ち満ちた一日だった。
空谷に響いた足音は、予想以上に大きくて、遠かった。
それでもいいのかもしれない。
何を望み何を拒むのかなんて考えたところで僕の思い通りになんかならず、
進むべき時は、望もうが望むまいが当人を放っておいてどんどん進むものだ。
任せよう。


そんなことを考えながら海に行った。
ナンパする男とナンパされるのを待つ女と、浮かんだボールを取りに行く犬と飼い主と、インストラクターとその生徒と、釣り針と魚と、着替える女と着替えるのを待つ男と、ヨットと風と、自販機とゴミと、昼間の花火とバケツと、日光と顔をしかめる人と、満ち欠けと満ち引き。


満ちたら引いて、引いたら満ちる。
海は分かりやすくていい。
今は満ち溢れるこのエネルギーもいつかは引いていって、
それでもやっぱりまた満ちていく。
オーストラリアで海に飛び込んだワラビーの起こした波紋が、
こんな神戸の須磨くんだりまで届く。
のかもしれない。


波間を見ながらぼうっとしてたら少し焼けて肌が痛い。
海は行ってこの目で見ないと駄目だ。
海の近くに生まれて良かった。